立川談志のイリュージョンと、非常識なニュースが多すぎる話。
立川談志はよく「イリュージョン」という言葉を使っていた。
イリュージョンは、談志の笑いの本質である。別の言葉で言い換えるとしたら「非常識のその先」といった感じか。
漫才などのオーソドックスなお笑いでは、ボケとツッコミの対立で成り立っている。ボケが非常識な発言をして、ツッコミがそれを常識のレールへと戻してあげる。その非常識な発言が、視聴者側の予想を裏切れば裏切るほど面白くなる。
例えば、ラバーガールは非常識さのバランスがすごく上手い。
美容室のコントで、「女子ウケの良い髪型にしたいから、西野カナみたいにしてください。」のように、大水さんのクレイジーで狂気的なキャラクターが笑いを誘う。
ボケで非常識な空間を作って、ツッコミで常識へと軌道修正する。
もっとも単純なお笑いの構図はこんな感じなのだと思う。だから、視聴者は常識を知っている必要がある。常識を分かっているからこそ、そこから外れる非常識が分かるのだ。
しかし、最近のニュースを見ていると非常識のレベルが行きすぎた人が多すぎる。退職金を渡さないからと夫を殺す妻や、金属バットで家族を殴り殺す息子。世の中は非常識があふれている。昔からもそういった人はいたかもしれないが、家族や近所の人がうまく軌道修正していた。現代は、人と人との関係性が希薄になっているので、非常識な人が非常識のまま成長してしまう世の中になっている。
このまま非常識な人が増えると、先ほどのお笑いが通じなくなる。
常識が分からないとボケも生きてこないのだ。そこで立川談志が考えたのがイリュージョンなのだと思う。常識でも非常識でもない不思議な世界。これがイリュージョン。
「おたくですか、金魚のパンティー売っている家は?」
「ええ、鉄火丼もあります」
「信号が赤だぞ」
「女房に言うなよな」
すぐには分からないけど、頭の中でイメージすると笑いがこみあげてくる。これがイリュージョンの笑いなのかもしれない。立川談志が亡くなってから約6年。落語や漫才は常識と非常識をベースにしているものがほとんどで、まだイリュージョンのお笑いはそこまで浸透していない(コントやピンネタはそれっぽいものがある?)が、非常識な人が増えるとお笑いの流れも変わっていくのかもしれないなぁ。
↑立川談志の考えを深く知りたいひとは、こちらの本がおすすめ。特にp107の「「非常識」の居場所もない」にイリュージョンについてしっかり述べられています。