Digit!

日常で起こる様々な現象に、ツッコんだりボケたりするブログ。

短編『行列人間』

休日になると、都内をぶらぶらと歩いてしまう自分がいる。これといった用事も目的地も無いのだが、地元の人しか知らないような神社仏閣などに出会うと楽しくなる。偶然の出会いというのだろうか。この歳になってくると、想定外で無いと楽しめない自分がいるのだ。

道路沿いの並木道を歩いていると、ふと目に入ったのが長蛇の列。太陽光が降りそそぐ昼間っから、よくもまぁ我慢できるもんだ。行列嫌いの僕からすると考えられない。……それにしても長い。いや、長すぎる。背伸びして遠くを眺めても、行列の先頭が見えない。一体これは何の行列なのだろうか?


行列に並んでいた夫婦に話しかけてみる。
「つかぬ事をお聞きしますが、この行列は何の行列なのですか?」
「はぁ、私たちも詳しくは知らないのですが。周りの話を聞く限り、この先にミシュラン1つ星を獲得したイタリアンがあって、ランチタイムは格安で提供しているみたいなんですよ。」
「はぁ、そうですか。ありがとうございます」

変な人たちだ。何の行列なのかよく分からないで並んでいるなんて。それにしても、昨今は行列のできるお店が多すぎる。メディアで露出すると、自称グルメの人たちが駆けつける。彼らにとって大事なのは、味が美味いうんぬんじゃ無いのだ。「テレビに出てた店に行った」「行列が凄かった」などの、話のネタを探しに行っているだけなんだ。


ふと行列に目を向けると、20代くらいの若い男性が並んでいた。身なりが少し小汚く、グルメを気取っている感じでは無い。彼だったら何か知っているかもしれない。
「ちょっといいかな?」
「あ、はい。何でしょうか。」
「この行列は何を待っているのですか?」
「それがですね、傍聴席の抽選があるみたいなんです。」
「傍聴席?」
「この先に、地方裁判所があるのはご存知ですよね?そこで初公判が行われるらしく、みんな並んで抽選券を待っているんです。傍聴席は20席なので、かなりの倍率になりそうなんですよ。」
「ちなみに、その事件って何なのですか?」
「いや、それが。僕もそこまでは知らないのです。芸能人が覚醒剤を所持してたとか、そこらへんじゃないですか?」
「そ、そうですか。」


さっきと全く話が違うじゃないか。どちらが正しいのだろうか?確かに傍聴席抽選で並ぶ話は聞いたことあるけど、流石にニュースになってるだろう。

歩きながら行列の人々を見ていると、1人の男性が簡易チェアに座って待っていた。彼なら知ってそうだ。わざわざチェアを持っているってことは、行列に並ぶためにここに来たに違いない。40そこそこの彼のもとに近づくと、ギラリと目を細めて睨まれる。
「ちょっとあなた、割り込みは禁止ですよ。」
「いやいや、すみません。割り込みではないんです。ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、これは何の行列なのでしょうか?」
「あなたねぇ、そんなこと聞くなんて野暮ですよ?」
「へ?」
「山登りの名言にもあるでしょ?『そこに山があるから』って。私もそこに行列があるから並んでいるだけなんです。」
「あなたは何者なんです?」
「私ですか?生粋の行列マニアでして、全国津々浦々の行列を巡る旅をしているものです。」
「行列マニアですか。」
「行列の長さ・回転率の速さ・行列の並び心地などをレビューして、ブログにアップしています。行列業界では大人気なんですよ。」
「そ、それは凄いですね。で、では忙しいので失礼します。」


あ、危なかった。ああいったタイプは話し出すと止まらなくなるんだ。何なんだよ、行列マニアって。そんなニッチすぎる趣味聞いたことがない。まさか、ここに並んでいる人たち全員で、自分を馬鹿にしているのではないのだろうか?ふと、そんな疑惑が湧き上がった。もう我慢ならない。行列の先頭まで行って、真実を暴いてやる。僕は行列に沿って歩き始めた。


……

あれから何年歩いただろうか。

いくら進んでも、行列の先頭は見えてこない。東京を出発して、名古屋、関西、福岡へと進み。フェリーに乗って韓国へ渡る。小舟に乗って北朝鮮へと密入国し、今は中国西部の敦煌までやってきた。人々は砂漠の気候変動に耐えながら、砂混じりの風に吹かれている。それでもまだ行列の終わりはやってこない。

地面に崩れるようにして座り、ふと昔のことを思い出す。あれは僕が行列を見つけた頃だっただろうか。行列マニアという男がいて、行列に並ぶのは『そこに山があるから』と同じだと言っていた。けど、今思うとその発言は間違っていると思う。山は頂上が見えているから、登り甲斐があるのだ。この行列には終わりが見えてこない。並び甲斐が一切ないのだ。

この行列を例えるならば……。幸せ。そう、幸せを求めるようなものなのかもしれない。人間は幸せになりたくて努力する。仕事を頑張って、貯金をためて、家族を養い、安定した生活を目指す。その先には幸せがあるのだと信じて。しかし、幸せな暮らしになったと思っても、どこかで不満を感じてしまう。そうしてまた幸せを探し始める。「幸せの青い鳥」のように、どこまでも追い求める。

原作では、チルチルとミチルは青い鳥を見つけられず、旅を終え家に戻る。目覚めると部屋で飼っていたキジバトが青い鳥になっていた。おそらく「本当の幸せは身近なところにある」ってことを伝えたいのだろうが、現実はそう甘くない。人間とは追求する生き物。幸せをもとめる欲求は尽きることがない。


僕は、もう力が尽きた。立ち上がる気力すらない。行列に並ぶ人々の横で、ひれ伏すように倒れこむ。あぁ、戻れるなら行列を見つける前に戻りたい。行列の人々は、死んだように倒れている僕を冷たい目で眺めている。どうかいっそのこと、笑ってくれ。同情されるほど辛いことはない。

僕がこのまま死んだとしても、行列は止まることなく進むのだろう。並んでいる彼らは、穢れを知らない子供のような目で、ただひたすら遠くにある終わりを眺めていた。